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さて、私は30歳のときに税理士業界に入るまで、
某メーカーに勤務しておりました。
大学を卒業してから、29歳の6月か7月まで、
6年3~4ヶ月の間、その会社に勤務しておりました。
今、思い出すと、課長に「辞めたい」と伝えたのが、
年末か年始頃だったので、7月の退職までの間、
ずっとほったらかしで、辞めさせてくれなかったなあ、
ということを思い出しました。
あの頃、退職代行があったらどうなっていただろう?
なんて思っています。
ずっとほったらかしにされていたとき、
どんな感じだったかというと、
まず、税理士試験の勉強を独学で始めました。
日商簿記2級を学生時代にとっていたので、
その復習をしていました。
固定資産税の市販のテキストでも勉強しました。
これはあまり役に立ちませんでしたが。
朝の頭がクリアな時間に勉強して、
勉強が終わってからゆっくり出社しました。
フレックスタイム制がありまして、
職場のまわりの人は誰も使っていませんでしたが、
私は一人だけその制度を使っていました。
当然、まわりから浮いてしまいますが、
どうせ辞めるのでもういいや、という感じでした。
それから、歯医者など病院にどんどん通いました。
今は国保も健康保険も本人負担3割ですが、
当時は健康保険は2割負担だったんですね。
会社を辞めると、負担が1割増えるという状況でした。
なので、残っている有給休暇を活用して、
体のメンテナンスに時間を多く使いました。
有給休暇をどんどん使うので、当然まわりから浮きますが、
辞めてから再就職まで収入がなくなることを考えると、
負担が1割違うことは経済的にも見逃せませんでした。
通常業務はしていましたが、
とにかくモチベーションがまったくないので、
やはりどうしてもミスが出てしまいます。
普通なら「二度としないように気をつけよう」ですが、
私の中で「二度目」はもうないので、
ミスをしても反省の気持ちが湧いてきません。
こんな勤務態度だったので、
この時期まわりの方には多大なるご迷惑をおかけしました。
そのことについては今でも申し訳なく思っています。
ただ、自分の人生を守るには、
自分で判断して、自分の意思で行動するしかない、
と、このとき思っていました。
それが、自分の行動を決める基準でした。
私の信念が向かう方向と、
まわりの職場の人たちの考えが、
まったく噛み合わない中での半年でした。
そりゃ、いい気持ちなわけがない半年でした。
あのとき退職代行という業者がいたら、
どうなっていたんだろう?と考えます。
退職の意向を伝えてから、半年以上、
ほったらかしにされましたからね。
そんな時代だったんだろうなと思います。
特に結論はありません。
ご容赦ください。