負担付贈与の場合、相続税評価額ではなく時価評価となった判決(東京高裁H7.12.13判決)

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「負担付贈与」をご存知でしょうか?

AIに、分かりやすい言葉でいうと何?

と聞いてみたところ、

「借金などの条件(おまけ)が付いたプレゼント」とのこと。

 

実例であげると、

アパートの建物を持ってる大家さんが、

息子にその建物を贈与して、

敷金を返還する義務もそのまま承継させるパターン。

 

もう一つ実例をあげると、

住宅ローンを組んで建てた家を、

住宅ローン付きで息子に贈与するケース。

 

この場合、贈与税の計算をするときは、

建物の評価額は「相続税評価額」でなく「時価」で、

計算をしないといけないんですね。

 

このルールが決められたきっかけは、

平成元年頃にさかのぼります。

負担付贈与をして、相続税評価額で贈与税を計算することで、

「税逃れ」をするケースがよく起こっていたからです。

 

その一例である判決をAIに解説してもらいました。

なぜ負担付贈与は時価で計算するのか?

よろしければお読みください。

 

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1. はじめに:完璧な「節税」のはずだった

多くの納税者にとって、国税庁が公表する「財産評価通達」は、税務申告における絶対的な聖典です。「当局が自ら定めたルール(通達)に従い、1円の狂いもなく計算しているのだから、後から否認されるはずがない」――この確信は、法の支配を信じる市民として至極当然の心理でしょう。

しかし、その確信を根底から覆し、税務実務の世界に衝撃を与えた事件があります。通称「ニチアス株負担付贈与事件」です。納税者は通達の文言を完璧にトレースし、贈与税額を「ゼロ」と算定して申告しました。形式上、一点の非も打ちどころのない「合法的な節税」でした。それにもかかわらず、裁判所は税務署による多額の追徴課税を支持し、納税者の主張を冷徹に退けたのです。

なぜ、ルール通りの節税が「不正」とみなされたのか。そこには、私たちが盲信している「マニュアル」の正体と、その背後に潜む「租税公平主義」という名の巨大な哲学が隠されています。

2. 「通達」は法律ではないという驚きの事実

この裁判において、法曹界のみならず一般社会をも驚かせたのは、「通達」の法的地位に対する裁判所の厳格な評価でした。私たちは日常的に通達を法律と同義に捉えがちですが、憲法上の法体系において、両者の間には深い断絶があります。

東京高裁(平成7年12月13日判決)は、国税庁の「財産評価通達」の本質を次のように断じました。

「通達とは、上級行政機関がその内部的権限に基づき、下級行政機関及び職員に対して発する行政組織内部における命令の成文の形式のものをいうにすぎず……通達それ自体を国民の権利義務を直接に定める一般的抽象的法規範、すなわち、法規であるということはできない」(判旨7)

さらに裁判所は、判旨(8)において、「裁判所は通達に示された法令の解釈に拘束されず……通達が法令の趣旨に反していれば、独自にその違法を判断できる」と明言しました。

つまり、通達はあくまで「税務署内の事務マニュアル」であり、裁判所や国民を直接縛る「法律」ではありません。納税者が「マニュアル通りにやった」と主張しても、それが法律(相続税法)の理念に反するものであれば、裁判所はそのマニュアル自体を「今回は適用しない」と横に置くことができるのです。

3. 計算上は「評価額ゼロ」:巧妙な節税スキームの正体

では、原告が企てた「負担付贈与」とは、どれほど巧妙なものだったのでしょうか。その実態は、市場のリスクを完全に排除しつつ、通達の「数字の歪み」だけを抽出したクローズド・ループ(密室的な循環系)でした。

  1. 同時並行のロックイン: 昭和63年11月、祖父(贈与者)がニチアス株23万8000株を現物で購入すると同時に、孫ら(受贈者)は全く同数の23万8000株を「信用売り」しました。これにより、一家全体の経済的地位は固定され、将来の株価変動リスクは完全に消滅しました。
  2. 時価と通達評価の乖離を突く: 当時の財産評価通達169は、上場株式の評価額として「贈与時の最終価格」のほかに「直近3ヶ月の月平均額のうち最も低いもの」を選択できると定めていました。
    • 贈与時の実際の時価: 1,980円
    • 通達による評価額(前々月の平均): 1,033円
  3. 「負担」による税額の抹消: 祖父は株の購入資金として銀行から約2億5000万円を借り入れ、株式の贈与と同時に、この借入金債務も孫らに引き継がせました(負担付贈与)。
    • 1株あたりの債務額: 1,050円

計算式は、「評価額(1,033円)ー 負担額(1,050円)= ゼロ」となります。実態としては、1株あたり約930円(1,980円-1,050円)もの純資産、総額にして約2億1420万円にのぼる経済的利益が無税で移転されたことになります。市場価格1,980円のものを1,050円のコストで手に入れたのですから、誰の目にも明らかな資産移転ですが、通達の計算上は「価値ゼロ」という魔法が成立したのです。

4. 「形式的な平等」が「実質的な不公平」を招くとき

裁判所がこのスキームを却下した論理は、非常に深い洞察に基づいています。ここで対比されたのは、「形式的平等」と「実質的な租税負担の公平」です。

本来、通達が「月平均額」での評価を認めているのは、相続という「被相続人の死亡という偶発的かつ不可避なイベント」に対する配慮です。判旨(4)が指摘するように、死の瞬間の株価がたまたま異常高値だった場合に、納税者が過大な負担を強いられないよう「評価の安全」を確保するための救済措置なのです。

しかし、本件は「偶発的」とは対極にあります。最初から通達上の乖離がある銘柄を選定し、信用売りによってリスクを封じ込め、贈与時期までも緻密にコントロールした「高度に意図的な租税回避」でした。裁判所は次のように判示し、法の精神を呼び戻しました。

「実質的な租税負担の公平を著しく害し……ような場合には、財産評価通達に定める評価方法以外の他の合理的な方法によることも許される」(判旨3)

「マニュアルを画一的に適用することが、かえって不公平を招く場合には、例外を認める」というこの判断は、単にルールに従うことだけが正義ではないことを示しています。意図的に制度の隙間を突く「法の濫用」に対して、裁判所は「租税公平主義」という最上位概念を持ち出して対抗したのです。

5. 判決が残した教訓と1990年のルール改正

この事件をきっかけに、国税庁は平成2年(1990年)に通達を改正しました。負担付贈与における株式の評価は、もはや月平均額を使うことはできず、「贈与時の最終価格(時価)」に一本化されたのです。

判旨(6)はこの改正について、負担付贈与のような経済的取引には、相続のような「評価上のしんしゃく(手加減)」の必要がないことが明確化されたものと評価しています。

しかし、この1995年・1997年の判決が持つ真の意味は、単なるルール改正の追認ではありません。たとえ改正前の古いルールの下であっても、あるいは将来新しいルールの隙間が見つかったとしても、「著しく不公平な結果を招く策動は、実質課税の原則によって否認される」という、動かしがたいリーガル・スタンダードを確立したことにあります。行政のマニュアルが「絶対的な盾」ではないことを、司法が宣言したのです。

6. 結びに:私たちは「正義」に課税されている

「税務署が決めたルールを守っているのだから、結果がどうあれ私の勝手だ」という思考は、一見論理的に見えます。しかし、税というシステムは単なる数字のパズルではなく、社会全体の公平性を維持するための哲学的な装置です。

この事件は、私たちに重要な問いを投げかけます。制度の本来の目的を無視し、文字通りの文言だけを「ハック」して利益を得る行為は、果たして法的に保護されるべき「自由」なのでしょうか。

私たちが納めているのは、単なる通達の計算結果ではありません。その背後にある「社会的な公正(公平)」という重みに対して課税されているのです。「ルールの隙間」を見つけたと思ったとき、実はその頭上には「法の精神」という名の高い壁が常にそびえ立っている。ニチアス事件の判決は、今もなお、すべての納税者と実務家に対する厳粛な警告として響き続けています。

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