自筆証書遺言は無効とされた判決(松山地裁H17.9.27判決)
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遺言はいつ書くべきか?
「元気なうちに」というのが業界では常識です。
学校なら「テストに出るから、ちゃんと覚えておくように!」というレベル、
と言ってもいいでしょう。(^-^;
今回のAI判例紹介は、自筆証書遺言は無効とされた判決です。
体調が悪くなってから書いた遺言は、その合法性が疑われます。
「本当に本人が書いたのか?」
本人が書いたことにする、という発想は辞めよう。
そうなる前に「元気なうちに」書いておこう。(書いてもらおう。)
と思わせる判決です。
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自筆証書遺言は無効とされた判決(松山地裁H17.9.27判決)
親の遺言書が「偽物」と疑われたら? 裁判記録から学ぶ、遺産相続の衝撃的な実態
1. 導入:平穏なはずの家族を襲う「一通の紙面」の疑念
家族の絆が試されるのは、皮肉にも親が亡くなった後であることが少なくありません。特に、認知症を患っていた親の死後、それまで存在すら知らされていなかった「自筆の遺言書」が突如として現れたらどうでしょうか。
「本当に親が書いたものなのか?」「誰かに書かされたのではないか?」
仲の良かった兄弟姉妹の間に、取り返しのつけない亀裂が走る瞬間です。今回紐解くのは、松山地方裁判所平成17年9月27日判決の事例です。ある一通の遺言書を巡り、法廷で暴かれたのは、遺された家族の主張とあまりにかけ離れた「冷徹な真実」でした。
2. 衝撃の事実1:筆跡鑑定が暴いた「別人」の存在
この裁判で最大の争点となったのは、遺言書が本当に亡くなったE氏本人の手によるものか、という点でした。被告側(遺言書により利益を得る子ら)は、「筆記具や紙の種類によって筆跡は変わるものであり、本人のものに間違いない」と強く主張しました。
しかし、裁判所が採用した鑑定人Qによる鑑定結果は、被告側の期待を打ち砕くものでした。
鑑定結果: 遺言書の筆跡は、E氏が過去に書いた文書とは「別人の筆跡」であると断定された。
2年前の深刻な予兆: 実は遺言作成の約2年前(平成12年)、E氏が書いたメモが残されていた。そこでは既に文字の判別が困難なほど筆跡が乱れており、あろうことか「平成」という元号さえ書き誤っていたのである。
2年前に元号すら正しく書けなかった人物が、亡くなる直前に突如として整った文字で遺言を書く。そんな奇跡は起こり得ません。筆跡とは単なる文字の形ではなく、その人の身体的なリズムや知能の状態が刻み込まれた「生きた記録」なのです。裁判所は次のように結論づけました。
本件遺言書の筆跡は、Eが作成したと原告Aが主張する……筆跡とは別である。
3. 衝撃の事実2:認知症「長谷川式スケール8点」の重み
遺言書を作成するには、自らの財産をどう処分するかを理解する「意思能力」が必要です。しかし、遺言書が書かれたとされる時期のE氏の精神状態は、法的な判断ができる状態からはほど遠いものでした。
長谷川式簡易知能評価スケール「8点」: 満点30点中、わずか8点。これは認知症として明らかに低いスコアであり、当日の調査では「今が何年何月か」さえ把握できていなかった。
重度の見当識障害: 目の前にいる自分の息子を、既に亡くなった夫と見間違える。指摘されてその場では理解したように見えても、わずか1、2分後には再び「夫」として話し始めるほど、短期記憶が失われていた。
医師の診断書には、法律上の意思能力を根底から否定する、極めて重い言葉が記されていました。
痴呆は長谷川式簡易知能評価スケールで8点、書くことは不可能の状態であった。
挨拶ができる、食事が摂れるといった「日常の慣習的な動作」と、複雑な財産処分を決める「意思能力」は全く別物であることを、この数字は静かに物語っています。
4. 衝撃の事実3:「あまりに不自然な」遺言書の登場タイミング
裁判所は、遺言書の内容だけでなく、提出された「経緯」の不自然さも厳しく追及しました。被告Bが遺言書を提出したプロセスには、あまりに多くの矛盾が孕んでいたのです。
沈黙の49日: E氏の死後、遺産分割協議が行われた際、被告Bは遺言書の存在を一切口にせず、単に「自分の取り分を増やせ」と主張していた。
調停での「後出し」: 兄弟間の話し合いが決裂し、家庭裁判所での調停が始まっても、被告Bは第1回、第2回と欠席。ようやく出席した第3回期日になって、初めて「実は遺言書を預かっていた」と提出したのである。
さらに、遺言書を作成したとされる平成14年10月9日の客観的な記録が、被告の供述を完全に覆しました。被告は「自分の目の前で、Eが長い時間をかけて遺言書を書いた」と述べましたが、当日の医療記録によると、E氏はクリニックでデイケアを受け、昼食を摂り、点眼や入浴をして過ごしていました。
重度の認知症を患い、介助を受けながらようやく日常をこなしていたE氏に、一人で机に向かい、複雑な遺言を書き上げる時間的・肉体的な余裕などなかったのです。
5. 衝撃の事実4:「挨拶ができる」は「遺言が書ける」ではない
被告側は、「E氏は近所の人とも挨拶を交わしており、判断能力は鮮明だった」と主張しました。これは、遺言無効訴訟においてよく見られる反論です。しかし、裁判所はこの主張を「客観的事実に反する」として退けました。
定型的な社交の限界: 長年染み付いた挨拶などの動作は、判断能力が低下しても維持されることが多い。しかし、不動産を誰に譲るかといった重要な法的判断は、それとは次元の異なる高度な精神活動を必要とする。
供述の却下: 裁判所は、被告Bの言い分が医学的データや行動履歴とあまりに矛盾していることを重く見ました。
被告Bの供述は、それ自体上記した点から不自然であるほか……客観的に反するものであるから、これを採用することはできない。
裁判所は論理的な整合性だけでなく、当事者の「行動の矛盾」を、真実を見極めるための峻烈な判断材料としたのです。
6. 結び:遺言という「最後のメッセージ」を汚さないために
この裁判の結果、遺言書はE氏本人が書いたものとは認められず、民法が定める「自書」という形式的要件を満たさないとして無効になりました。認知症の進行、筆跡の致命的な不一致、そしてあまりに不自然な登場のタイミング。それら全てのピースが、一通の遺言書の「偽造」という結論を指し示していました。
遺言書は、遺された人々への最後の慈しみのメッセージであるべきです。それが家族を憎しみ合わせ、不信感を生む火種になってしまうのは、あまりに悲しい出来事です。
自筆証書遺言の厳格さ: 全文、日付、氏名を必ず本人が書かなければならないという鉄のルール。
早期対策の重要性: 意思能力がしっかりしているうちに、公正証書遺言などの確実な手段を検討すること。
この事例は、私たちに静かな、しかし重い問いを投げかけています。
「あなたが愛する人に残す言葉は、誰が見ても『あなたの言葉』だと確信できるものですか?」
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